あるひまじんの日記

今日も世はこともなし。

地震、さらにその後

マグニチュード7クラスの地震が三日以内に来る確率70%

新燃岳噴火

なんだかあちらを見てもこちらを見ても地震、火災、津波……という悲しい話ばかりなのに、さらにまだ地震が続くという予測が立ちました。南でも新燃岳がかつてない規模で噴火したという話も。

放射能、というよりも原発の爆発はひとまず落ち着いたようです。それでも被曝者を出してしまったことは残念で仕方ありません。原発については天災ももちろんありますが多くは人災でもありますし、今後はもう少し安全措置等考えて欲しいものでもあります。

本当に日本は大丈夫なのか…いくら地震大国日本と世界にも知れ渡っている国ですが、天災にはどんなことをしても歯向かえません。火災は消火ができる、地震は収まるのを待てる、しかし津波だけはその場からとにかく逃げる事しかできません。それが間に合わなければ…。

私も津波というと映像ですらあまり見たこともなかったのですが、こんなに恐ろしいものだったとは、と改めて津波の怖さを知りました。

津波では人への被害はもとより田畑が塩水で洗われてしまう事での農産業被害近海がメチャクチャになってしまう海産業被害も相当なもの。特に宮城や岩手は海産業が盛んなので復興は想像だにできません。

しかし日本全国が絶望に落ちている中ですが、海外からの暖かいメッセージが届いているようです。

海外の方々が日本を応援する画像の数々 「Pray for japan」と日本を祈る

なんだか嬉しいですね。もちろんあんまり仲のよろしくないお国さんからは何もないようですが、アメリカを始めフィリピンやオランダ、フランスなど多くの国からメッセージが来ています。目から汗が…。

また、同じ国内からですが阪神大震災での体験者さんたちからの即使える地震アドバイスも。

阪神大震災で被災したやつ。アドバイスあったら書いてけ

同じ日本でもこれだけ離れた地域の人同士が協力しようとするのはやっぱり目から汗。

世界からのメッセージ同様にぜひとも被災地の人たちに見せてあげたい。まだ行方不明とされている多くの、本当に多くの人たちも何とかして生き残って欲しいです。

続きは個人的な話になります。

気仙沼の祖母とは今でも連絡が取れません。。

祖母と一緒に暮らしていた家族はばらばらになっているようでそちらとはメールで連絡が取れましたがそれも11日の夜まで、携帯の充電が切れてしまったのかどうか誰とも連絡が取れなくなってしまいました。

地震の当時、祖母はひとりで家にいました。そして家族はいとこたち四人ですが全員が仕事に出ていました。

市街地あたりは炎上してしまったのでいとこたちは仕事をやめて恐らくどこかに避難したのでしょう、その後携帯を持つ祖母以外の家族と連絡を取り合って無事確認はできました。

しかし祖母だけは携帯を持たず、固定電話は停電なため使えず、もし避難していなければ真っ暗で電気も使えないまま今でも閉じ込められているはずです。

祖母たちの家はもともと海抜ゼロメートル地帯にあったのですが、そこでは津波が怖いからと数年前に高台に引っ越しました。でもそこも海からほんの100mほどの場所。もちろん高台ではありますが10m規模の津波が来てしまったなら直撃はなくても余波は少なからず受ける、ましてや来てしまった後に高台を降りて逃げるという選択はありえません。

ちなみに海抜ゼロメートル地帯にあった家やその他の建物等は全部水没したようです。

祖母は車椅子ではないですが長年の農作業の末に足腰が弱くなっており、去年会った時も這って移動しているような状態でした。なので、他人の力がなければ走る事はおろか普通に歩く事もできないはずです。

昨日も今日もまんじりともせず過ごし、祖母の家が気仙沼にあると知る知人からの心配の電話にも「わからない」としか答えられない有様で非常に無力感ばかりです。

愛知に住む親戚の間からは日本海周りで現地に手伝いに行こうという話も出ています。私も行けるものなら行きたいところですが、まだ余震の続く地域での二次災害が怖いわけで今回は拒否されました。落ち着いたら行くのは無理でもなんらかの補助や支援がしたいところ…。

気仙沼は私にとっては第二の故郷、夏休みになるたびに行って市街地や浜辺など子供の頃から遊び歩いた場所。

大島の花火大会やみなと祭り、海岸で泳いだり花火したり、ホタルがいた田んぼを見たり、水没してしまったであろうお寺で遊んだり、無人駅から出ている数時間に一本の電車に乗って町に行ったり……いろんな思い出があります。

早くもとの気仙沼の日常に戻って欲しい。今はそれしか考えられません。